1. ぼくがニュージーランドに行くまでの物語

「ぼくは何のために この世へ生まれてきたのだろうか…」

そんなことを考えてしまうほど、当時のぼくは追い込まれていた。「いい大学に行き、大手企業に勤めなさい」という両親の教育の下、ぼくはそれなりに勉強をがんばり、大学に入学。就職も順調に決まり、実に無難な人生を歩んできた。

しかし 社会に出てからは挫折の連続。“超” 縦社会の会社に就職したぼくは、帰宅は毎晩12時を過ぎ、休日出勤も当たり前。休みを要求しようものならば「今の若者は…」「これだからゆとり世代は…」とバカにされた。

もともと小心者だったぼくは、次第に何も言わない方が身のためだと思うようになり、先輩や上司の意見にただ従うようになっていった。 そして いつの間にかまるで感情のないロボット〟のように生きていた。

「社会で生きるとはこんなにも辛く、苦しいものなのか…」

結果もまったく出せず、心も身体もボロボロになったぼくは1年半で退職。再就職する気力もなく、ニートの状態が半年間続いた。

そんなぼくに手を差し伸べてくれたのは父親だった。父親の紹介により、ぼくは大手外資系企業にシステムエンジニアとして再就職 。新たな人生の再スタートになるはずだった。しかし就職したわずか2ヶ月後に、父親が病気により他界。この出来事により、ぼくの人生はまたどん底に突き落とされた。

でも父親の息子、つまりは “エリートの息子” として入社したぼくは会社からも大いに期待され、何とか結果を残そうと懸命に働いた。しかし システムエンジニアという職種に馴染めず、ここでも息苦しい日々が続く。

「父親の顔に泥を塗らないように、結果を出さないといけない」

そう自分にずっと言い聞かせ、会社に馴染もうと自分を押し殺し〝周りが求める自分像〟を演じ続けた。しかし無理を続けた結果、また身体が悲鳴をあげてしまう。ぼくは原因不明の腰痛に襲われ、歩くことすらできなくなってしまったのだ。どこの病院に行っても言われるのは原因不明の一言。治療法さえわからないまま月日だけが過ぎていった。

当時25歳。人生でやりたいことはたくさんあるのに、何1つやっていなかった。その時にやっと気付いた。こんな人生を望んでいたんじゃないって。周りの人たちを満足させるために生まれてきたんじゃないって。

いい大学に行き、いい会社に入り、安定やたくさんのお金を手に入れたところで、自分が本当に望んでいたものは手に入らない。

どんなすごい肩書きがあろうと、どんなすごい会社に勤めていようと〝本当の自分〟を隠しながら生きて、行き着くところには何があるんだろうか?〝周りの目〟を気にしながら生きた人生の、その先にあるものって何だろうか?

ぼくはこの出来事をキッカケに、一大決心をした。

「父親が入れてくれた会社を辞め、やりたいことをやる」

2. ぼくがニュージーランドに行くことになったキッカケ

この状況の中、ぼくが昔からずっとやりたいと思っていたことがある。

それは 世界一周

20歳の時、父親から一眼レフカメラを買ってもらったのをキッカケに ぼくは写真に目覚め、いつしか世界を旅して、その景色を写真に収めたいと思うようになっていた。

ぼくはその夢を叶えるために病院を渡り歩き、知人が紹介してくれた治療院で、ついに原因が判明。 半年に渡る治療とリハビリの末、ようやく普通の生活ができるまでに回復した。そして家族や親戚の猛反対に合いながらも退社を決意。 世界一周の準備を進めていった。

当時 英語を話せなかったぼくは、まずは英語を3ヶ月学び、その後、世界一周の旅を始めるプランで話を進めることに。

オーストラリア、カナダ、イギリス、ニュージーランド。 マルタ島やフィリピンも留学には人気なのか。あ、そういえば…。昔読んだ本の著者、ニュージーランドに暮らしているって言ってたな…。ちょっと調べてみるか。

その本とは、 四角大輔さんの著書  『自由であり続けるために ~20代で捨てるべき50のこと~』

四角さんは、ニュージーランドで半自給自足の暮らしを送り、年の数ヶ月は世界中を旅している執筆家。過去には絢香やSuperfly、CHEMISTRY、平井堅などを手がけた名アーティストプロデューサー。この本との出会いが、後々ぼくの人生を大きく変えることになるのだが、初めて読んだ時の感想は

“自分とは世界が違う人”
“こんな暮らしが自分にはできるわけがない”
“そんなに捨てろ、捨てろと言われても…”

というのが正直なところ。

1回読んでこの本はしばらく本棚で眠ることになるのだが、リハビリを通して登山にハマってしまったぼくは、 調べれば調べるほどニュージーランドの虜になっていった。

そしてぼくはワーホリのビザを取得し、2013年9月にニュージーランドに初渡航。まずは英語を学び、ニュージーランドを1ヶ月ほど旅したら、他の国へ渡る。渡航前はそんなプランで考えていた。

3. ニュージーランド ワーホリ時代

突然だが、みなさんはニュージーランドにどんなイメージをお持ちだろうか?

行ったことがない人からすると「自然が豊かで、人口よりも羊のほうが多い…」。そんなイメージを持っている人が多いかもしれない。

実際にぼくもそうだった。世界一美しい散歩道と言われる ミルフォードトラックに、ミルキーブルーが広がるテカポ湖。そして満天の星空。

ニュージーランドの大自然は息を呑むほど美しく、何度訪れても飽きることがない。しかしこの国には、まだ多くの人が知らない魅力に溢れており、短時間では語り切れないほど。(※ その辺りに関しては、昨年出版したガイドブック『LOVELY GREEN NEW ZEALAND』に詳しく書かせてもらったので、興味のある方はぜひご一読を! )

残念ながらすべてのことを書いているとキリがなくなってしまうので…。ここではぼくが最も衝撃を受け、世界一周を断念してまでニュージーランドに残ることにした〝体験談〟について書いていこうと思う。

3-1. 衝撃を受けたニュージーランドの〝ライフスタイル〟

ぼくが最初に降り立った町は ニュージーランド最大の街オークランド。この町で生活を始めてから2カ月が過ぎた頃、友人おすすめのファーマーズマーケットに行くことに。

行先はオークランドから車で1時間のところにあるMatakana(マタカナ)。ここは食の都」と称され、毎週土曜日にはファーマーズ・マーケット開催されている。映画のセットのようなセンス溢れる空間に、地元で育てられた旬な食材が並び、ここの人たちはいつも笑顔に溢れていた。

そんなマタカナを初めて訪れたときのこと。大きなカメラをぶら下げながら歩いていると「どこから来たの?旅行?」と現地の人が声をかけてくれた。

「今はワーホリでニュージーランドに来ていて、オークランドで英語を勉強しています」とつたない英語で返すと「いや、君の英語とってもいいよ!」と最高の笑顔で返してくれる。

さらには「写真撮るには○○が最高のスポットだよ」とか「ここの○○がおすすめだよ」と、自分たちの街のことをたくさん教えてくれた。そして会話の最後には “Enjoy” とか “Have a nice day” と最高に暖かい笑顔で送り出してくれる。

こんな体験は人生で初めてで、ぼくは一瞬にしてこの町に恋してしまった。

その数ヶ月後に ぼくはニュージーランド1周の旅に出るのだが、ここマタカナだけではなく、ニュージーランドの至るところで同じような体験を何度もした。そして、こういう人たちと触れているうちに、ぼくはこんなことを考えるようになった。

「本当の豊かさ」とは?

スーパーで買い物をしていると、まるで昔からの友人のように話しかけてきたり、街で散歩していると笑顔で挨拶してくれたり。みんな見た目は質素なのに、なんでこんなにも幸せそうなのだろう…

正直に言うと、最初ぼくはこの体験がショックだった。なぜなら 今まで自分が信じて努力してきたことが、すべて否定されてしまったかのような感覚になったから。

一生懸命に勉強して、いい大学に行き、安定した仕事に就く。いわゆる “社会の勝ち組” になることが、幸せに生きるための最短距離だと、ずっと信じて生きてきた。そんな考えを一瞬にして、この国がすべてをひっくり返してしまった。それはもはや “混乱” に近いものだった。

なぜ 彼らはこんなにも豊かなのか。
なぜ 彼らはこんなにも幸せそうなのか。

ニュージーランドに暮らす人たちの〝豊かさ〟に強い衝撃を受けて、ぼくはこの国に残ることを決意。そしてここからぼくの〝本当の豊かさ〟を学ぶ旅が始まった。

3-2.「何もない」からこそ感じた「豊かさ」

その後 ぼくは2~3カ月おきに拠点を変えながら、たくさんの土地を訪れ、さまざまな仕事をした。その中で最も印象的だったのがKaramea(カラメア)での体験。カラメアは隣町ウエストポートから100km離れたところにある 人口わずか600人の小さな村。周りに広がるのは手付かずの大自然のみで、何もない場所だった。

ぼくはここで パーマカルチャー(自然の恵みを最大限に生かし、 食べ物や資源も循環させる “持続可能なライフスタイル” )を初体験。

野菜やお肉など「食」は自分たちで育て、生ゴミは肥料として土に還し、燃やせるゴミは火起こしに再利用。ソーラー熱などの自然エネルギーを最大限活用するなど、お金ですべてをコントロールするのではなく、地球の限られた資源を循環させていくという考えの下で生活。

ここに来るまでのぼくは【何もない=不便】だとずっと思っていたが、不便だから暮らしにくい、とは感じず、むしろ「何もない」からこそ、感じることのできた「豊かさ」があった

何もないからこそ、自分と深く向き合うことができ
何もないからこそ、家族や仲間とゆっくり過ごす時間があり
何もないからこそ、心をかき乱されることなく、毎日を穏やかに過ごすことができた。

いつも時間と忙しさに追われていたぼくにとって、このゆっくりと流れる時間は何よりも贅沢だった。そして ぼくはいつしか、今までに経験したことのない〝心の安らぎ〟を感じるようになっていた。

4. ぼくがニュージーランドで辿り着いた1つの答え

ぼくがこの国で体験したことを一言で表すことはできないが、ニュージーランドでの1年4ヶ月間で最も強く感じたこと。それは 〝便利さ〟の中に失っているものがあるということ。

東京は〝便利さ〟で言えば、世界でトップクラス。交通手段で困ることはないし、商品の価格は安くてもクオリティは高い。欲しいモノはすぐに手に入り、何かをやりたいと思えばいつでもすぐにできる。しかしその 〝便利さ〟の一方で、 人・モノ・情報は溢れ、行き過ぎた競争によって、多くの人が「時間」と「忙しさ」に追われている。

かつてのぼくは心に余裕を持てず、いつも忙しさを感じていた。そして他人と自分とを比べては一喜一憂したり、会社や肩書きで人を判断したりするなど人として大切なこと」を見失っていた。

身の回りのモノが溢れていると、1つ1つを大切にする時間が失われていく。だからこそ、限られた人生の中で何にフォーカスして生きるのか。 何を大切にして生きるのか。

ぼくはニュージーランドでの暮らしを通して、必要以上のモノはいらないこと。そして自分にとって最も大切なものにフォーカスして生きることが、人生を豊かに生きる上で大切なことだと考えるようになった。

そして ぼくがニュージーランドでたどり着いた1つの答え。
それが【Small is Beautiful -より小さく より美しく-】という生き方。

「小さく生きる」とは、必要以上のモノを持たない生き方。
「美しく生きる」とは、自分の「心」に従って生きること。

ニュージーランドをキッカケに、ぼくの人生は確かに変わった。そして何よりも、心の中に 〝安らぎ〟を見つけることができた。ぼくはこれらの体験をたくさんの人に届けるために、帰国後にニュージーランド写真展を開催することを決意した。

5. ニュージーランド写真展で芽生えた”ある想い”

1年4カ月の歳月を経て、ぼくは2015年に日本へと帰国。今でこそ “写真家” として活動しているぼくだが、学校やプロの誰かに学んだことはなく、当初は1回きりの開催のつもりだった。しかし気が付けば 開催は50回を数え、延べ3000名を超える人たちがイベントに足を運んでくれた。

自分でも驚くほどの反響があった。

“美しいニュージーランドの写真を見て、自然と涙が溢れてきて、心が洗われました”  
“写真が美しいのはもちろんのこと、発信されている Small is Beautifulの想いにも心から共感しました”  
“トミマツさんが撮られた写真とメッセージを見て、今日もがんばろうと思えました”

これらはほんの一部だが、 ぼくがニュージーランドで体験した「人生が変わる感動」、そして【Small is Beautiful】のメッセージは、日本の人たちの心にちゃんと届いていた。

ぼくはニュージーランドと深く関わっている1人の人間として、かつてのぼくのように〝生き辛さ〟を感じている人たちに、この国の体験を届けていくことは1つの役割なのではないか。その想いは写真展を重ねるごとに強くなっていった。

6. 諦めなければ、夢は叶う

ニュージーランドでの暮らしを経たぼくには、1つ夢があった。それはぼくの人生に大きな影響を与えてくれた 四角大輔さんと仕事をすること。ニュージーランドに行ったのも、好きなことを軸に生きていくと決めたのも、四角さんの本がキッカケだった。

ただ 写真展は大好きな活動だったが、全然お金にはならず、貯金は減る一方。この先続けていけるのか。好きなことだけで本当に生きていけるのか。不安な日々が続いた。

でもこの活動を地道に続けた結果、なんと、四角大輔さんのニュージーランドガイドブック制作チームの写真担当に抜擢して頂くことに…!NZdaisuki.com代表の野澤哲夫さん、日刊ニュージーランドライフの長田雅史さんという、 ニュージーランド好きであれば誰もが知っているような憧れの人たちと一緒に、ぼくはガイドブックを制作することになった。

まさに夢のような話で、ぼくは約2ヶ月間に渡り、四角さんと一緒にニュージーランド中を取材。今まで貧乏旅行しかしたことのなかったぼくは、ニュージーランドのトップを走るレストランや宿泊施設など、 “新たなニュージーランドの魅力” とじかに触れることができた。

そして2018年9月、四角さんたちと作ったガイドブック『LOVELY GREEN NEW ZEALAND』が日本全国の書店に並んだ。

夢が叶った瞬間だった。

活動を始めて3年。こんな人生を送ることになるなんて、誰が想像できただろうか?

そんなことで食っていけるわけないとバカにしてくる人もいたし、今でも決してお金に余裕があるわけではない。でもかつてのため息ばかり、愚痴ばかりの自分はもういない。

諦めなければ、夢は叶う。

ぼくは、それを肌で実感した。

7. ぼくはなぜ「テ・アラロア」に挑むのか

2013年から約6年。写真展を通して、自分なりにこの国の魅力を届けてきた。そして憧れの人たちとガイドブックを出版するチャンスにも恵まれた。大袈裟じゃなく、この6年間は〝夢〟のような日々だった。

「トミーの写真で、人生変わる人たくさんいるよ」

ガイドブックの取材をしていうる時に、四角さんがぼくにかけてくれた言葉。ぼくは四角大輔さん、そしてニュージーランドという国に 人生を救ってもらった。次はぼくが、自分の写真や活動を通して、誰かの人生に〝希望〟を与えられる存在になる。それがぼくの新たな目標。

だからこそ1人の写真家として、1人の人間として、さらに成長するために、ぼくには「未知なる挑戦」が必要だった。

そして、 それこそが ぼくにとって「テ・アラロア」だった。

8. 最後に

ぼくは今も毎年、数ヶ月をニュージーランドで過ごしているが、日本に帰国するといつも感じることがある。それは、日本の人たちの〝笑顔〟が極端に少ないこと。

電車に乗れば、暗く、疲れ切った表情をしている人たち、自分の人生に希望を持てない人たちをたくさん見かける。でもそれは〝他人〟ではなく、かつての〝自分の姿〟だった。

この挑戦では、たくさんの困難や想像を超える過酷さが待っていると思う。でも何かにチャレンジした先には〝勝ち負けを超えた世界〟がそこには必ずあって、たとえ失敗したとしても、その経験だけでも失うものよりも遥かに価値があると、ぼくはそう信じている。

ニュージーランドでの体験は、ぼくの人生を大きく変えてくれた。そして帰国後、さまざまなチャレンジを通して出会うことのできた景色は、何よりも美しかった。

だからこそ「自分らしさ」と「豊かさ」を取り戻すキッカケを与えてくれたニュージーランドの体験を届けていくこと。そしてかつての自分のように、現代に生き辛さを感じている人や、人生の一歩を踏み出せない人の〝希望〟になれるように。

そんな想いを胸に、ぼくは2019年12月 『 テ・アラロア 3,000kmの旅 』 に挑みます。思わず長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

ニュージーランドの奇跡と感動を、1人でも多くの人たちと共有できる日を夢見て。

2019年7月 トミマツタクヤ